初代レガシィをベースに開発された、初代インプレッサ、及び二代目レガシィについて

初代インプレッサ(GC,GF型) について

 初代インプレッサ(開発符号55N)は、初代レガシィ(開発符号44B)のプラットフォームを基に
ホイールベースを50mm短縮したものとして開発され、1992年末に発売されました。
レガシィで高級化した分、レオーネのクラス(1600〜1800cc)を補う目的がありました。
とは言え5ナンバー枠一杯の車幅、2520mmのホイールベースはレオーネよりは一回り大きく
なっています。当時はレガシィから始まったワゴンブームの中、このインプレッサの5ドアモデルも
当初はスポーツワゴンと呼ばれました。(社内での開発時にはコンパクトワゴンとも呼ばれていた
ようです。) 主力モデルは1600ccか1800ccの5ドアモデルと想定されていたようです。
エントリーモデルには1500ccもあり、この4ドアセダンFF車は車重1トンを切るぐらいで、
44Bベースの車体としては軽量でした。しかし間もなく、レガシィでラリーやダートトライアルをやって
いた方々がインプレッサのWRXに乗り換え始めました。海外でもコリン・マクレー選手のドライブで
インプレッサWRXが入賞するようになるとWRXの人気に火がつきました。
実際、44Bレガシィベースの車体は1800ccのノンターボ車には充分過ぎる車体剛性を誇り
当然2000ccターボのWRXでも馬力と車体剛性のバランスの良さ、さらにレガシィより軽量化された
事により素晴らしい戦闘能力を発揮しました。WRXではスバル初のアルミ製ボンネットフード、
アルミ鍛造製フロントロアアームなどが奢られ軽量化に留意されていたのです。
ライバルの三菱がランサー=エボリューションとなったように、インプレッサ=WRXとなり
国内、国外のラリーでランエボ対WRXの戦いが繰り広げられました。そしてこのインプレッサが
44B初代レガシィをベースに作られた事は、逆に型落ちとなった初代レガシィに乗る方々の中に
インプレッサのパーツを流用し、アルミ鍛造製ロアアームや空冷式インタークーラーを
自分のレガシィに装着し戦闘力アップを図る方も現れました。当初の前期型では、北米向け
2ドアセダンを国内向けにアレンジしたリトナ、またこの55Nをベースに開発された79V初代
フォレスターの市場調査的な意味合いをもつ、ワゴンWRXベースのグラベルEXなどの希少車
もありました。(グラベルEXは北米ではアウトバックという名で結構売れたようです。)
このインプレッサは当時富士重工が進めていた台湾へ工場進出する際の現地生産車としての
役割もあった為、およそ8年という長い期間生産されました。途中、1996年のマイナーチェンジ
で欧州の側面衝突の安全基準を満たす為にサイドシル、センターピラー等の補強がされました。
またWRX以外のモデルのフロントマスク、ボンネット等もデザイン変更され、NA2000ccDOHCの
SRX、レトロ調の外観を与えられたカサブランカ、WRカーレプリカの22B等の派生車種なども
登場してモデル末期まで安定した人気を誇りました。この初代GC8型WRXは今でも
中古車相場では高値で取引されています。

 

二代目レガシィ(BD,BG型) について

 二代目レガシィ(開発符号22C)は、初代レガシィ(開発符号44B)のプラットフォームを基に
ホイールベースを50mm延長したものとして開発され、1993年に発売されました。初代レガシィを
熟成し、より高級化した方向へ進みました。形式、形状こそ同じものの、サスペンションはストロークを
延長され、乗り心地の向上が図られました。エンジンも改良されており、ターボ車は大小2基のタービンで
過給するツインターボとなりました。折からのワゴンブームでワゴンのGTは大ヒット車になりました。
販売台数ワゴン:セダンの比率実に9:1、圧倒的にワゴンが売れ、セダンは陰に隠れた存在となって
しまいました。初代と比べ車重は約100kg増加しましたが、長いホイールベース故の広い室内を確保
できました。このワゴンブームの中、他社のライバル車が皆、レガシィを横目で見ながら、同じような
仕様、ルーフレールを付けたりターボモデルを出してきましたが、とてもレガシィに敵うものではありません
でした。 こうして伝統的スバルマニア以外の、他車からの乗り換え者が増えたことで、富士重工としても
新たなユーザー層の獲得、それに伴い、今まで気づかなかった視点から車づくりを見直す事もでき
その中でスバルとしてのアイデンティティを確立することができました。 インプレッサ同様に1996年の
マイナーチェンジで欧州の側面衝突の安全基準を満たす為にサイドシル、センターピラー等の補強が
され、このタイミングでエンジンも細部が見直され、低フリクション化、省燃費化が図られました。
ターボのMT車は国産2000ccクラス初の280ps到達車になり、セダンRS、ワゴンのGT-Bには
ビルシュタイン製の倒立型ショックアブソーバが採用され人気を博しました。 今思えば、この頃が
富士重工としても、最も良い時期だったと思います。レガシィのワゴンや、軽のヴィヴィオ ビストロが
売れに売れ、インプレッサもWRCでの大活躍により人気、フォレスターの開発などで社内にも活気が
ありました。 この二代目レガシィのヒットにより、富士重工は次車の開発資金も充当することができ
1998年末の3代目レガシィ(開発符号66L)登場へ繋がるのです。3代目レガシィはワゴンベースで
開発された為か、リヤサスペンションはより荷室(トランク)への張り出しの少ない形状、マルチリンク式
となり、44B以来のプラットフォームに別れを告げたのでした。

 


 
  

 

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